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【名言からモチベアップ】成功は、99%の失敗に支えられた1%だ

ホンダの車

何事も最初は失敗ばかりですよね。社会人になりたての時は失敗が続くと評価なり、モチベーションなり下がってしまいますよね。

そんなアナタに送りたい言葉が
「成功は、99%の失敗に支えられた1%だ」と語るホンダの創設者「本田宗一郎」です。

エジソンも「失敗は成功の母」という翻訳で名言を残していますね。
それでもこの失敗から学ぶ姿勢というのは、経営者でも成功ばかりではないので当然と言えば当然のことなのですが、99%の失敗に支えられるという表現がなんとも心に響きます。

皆さんにはなぜこのような言葉が後世に語り継がれるのか?
本田宗一郎さんという方を知って頂き、この言葉の重みと意味するところを感じ取って頂けましたら幸いです。

本田宗一郎ってどんな人?

1906年(明治39年) - 11月17日、静岡県磐田郡光明村(現・浜松市天竜区)で鍛冶屋をしていた本田儀平と妻・みかの長男として誕生。

9人兄弟の長男として生まれているのです。
しかしながら当時の日本は貧しい家庭が多く、本田さんの家庭も9人のうち4人を幼くして亡くなったとのことでした。

今では考えられませんが、当時は珍しいことではなかったそうです。

1913年(大正2年) - 光明村立山東尋常小学校(現・浜松市立光明小学校)に入学。自動車を初めて見る。

この時はまだオイルを垂れ流して走る車を見て、舗装もされていない道路の垂れたオイルを犬のように嗅いで、いつかは自分も自動車を作りたいと思うようになったとのことです。

1922年(大正11年) - 高等小学校卒業、東京市本郷区湯島(現・東京都文京区湯島)の自動車修理工場「アート商会」(現在のアート金属工業)に入社

この年に自動車の勉強をするために、上京をします。この時は、入社半年間は社長の子供のお守りばかりだった本田さんは、社長の手伝いから修理を任されるようになり、好きだった仕事にメキメキと力を磨き、社長に目を止めてもらうようになりました。

その後、暖簾分けをされて、修理工として腕を磨き、1937年(昭和12年) - 自動車修理工場事業を順調に拡大、「東海精機重工業株式会社」(現・東海精機株式会社)の社長に就任します。

修理工の腕としては右に出るものがいないほど素晴らしく、かなりの金額を稼いでいたそうです。しかしながら目を付けたエンジンの部品「ピストンリング」が経験だけではどうにもならず、研究のために3年も費やします。

軌道には乗ったものの、1945年(昭和20年) - 三河地震により東海精機重工業浜松工場が倒壊してしまったため、所有していた東海精機重工業の全株を豊田自動織機に売却して退社します。

1946年(昭和21年) 10月、浜松市に本田技術研究所 (旧) 設立。

ここがホンダの出発点となるんですね。

私が感じたことは6年間の修理工としての修業時代、3年という学問に費やす日々など、このような著名な人にも10,000時間の法則というのはあるということですね。

1万時間の法則は下記記事にてまとめております。気になる方はどうぞ↓

私が読んで好きだった本田宗一郎さんのエピソードを3つほど紹介します。

本田宗一郎さんから学ぶ3つのエピソード

ホンダのバイク

1%の不良は、お客様にとっては100%

99%の良品でも1%のクレーム品を作ってしまったら、メーカーとしては合格率でも1%のお客様とっては100%だという考え方を本田さんは語っています。

これはどのビジネスにも当てはまりますね。
この1%をいかに大きく、真摯に対応できるかが企業の信頼性にも関わってきます。
このようなことをしっかりと表現できる方は本当に素晴らしい方だと思います。

1%を生み出さないためにどうするか?

この考えをもって「常に120%を目指せ」と言っていたのですから納得の一言ですね。

相手の立場にしっかり立って物事を考えることが大事と言われますが、数字だけに捕らわれず体現することは案外難しいものです。

社長も社員の一人

松阪市で開かれたある会議に参加した本田さんが、ある管理職の方が松阪牛の料理店・和田金での昼食を提案したところ、
「50人も一緒に食事できる部屋はあるのか」と聞き、
「いいえ、社長と管理職のみです」と答えると
「じゃあ、おれも弁当にする」と即答したお話です。

企業ではよくお偉いさんだけの会食というのが多いですね、その中で全体会議という枠組みの中で社員と同等の立場に立てる経営者というのはなかなかいません。

企業の中でもなかなか大企業となると、社長と食事をするケースも稀にはなっていますが、このように現場を知り尽くしている本田さんならでは良いエピソードだと思います。

潔い社長退任

エンジンを水冷か空冷かのどちらにするかという論争がホンダの社内で巻き起こったころ、若い技術者が公害規制をクリアする意味で水冷だと主張したのに対し、本田さんは空冷を主張したそうです。

テストを重ねた結果、最終的に水冷の方が優れていることが分かり、ホンダは水冷エンジン路線に転換します。

この時に本田さんは「自分には技術が分からなくなったのかもしれない」と思い、社長を退いたというお話です。

中々退きどきというのは分かりませんが、自分の非をしっかり後々認められることも素晴らしいですね。

色々なエピソードを見てみると、この99%の失敗が1%の成功を支えていると言葉の本質が見えてくる気がします。

99%の失敗は決して後ろ向きなものではなく、前向きな失敗を繰り返し、その失敗を持って1%でもお客様へ利益のあるものを作りたいというメッセージに見えてきます。

いかがでしたでしょうか?このように失敗をしても次に繋がる失敗として捉えらえるかが大事だと思います。

マネジメントスキルへの応用として

マネジメント

  • 失敗は挑戦して失敗したものだと思える内容なのか
  • 失敗はするものだと失敗を自分自身が怖がらないこと
  • 失敗をし続けられる環境を作ること

上記のような本田さんの生き様はマネジメントへの活路を見いだせると思います。

実際部下を叱って伸ばすのが難しくなってきている今だからこそ、失敗への対応はマネジメント職に求められるスキルだと思います。

よくあるマネジメントの例として、失敗というのは原因の特定から入ると思いますが、ここで注意したいのは失敗自体を点で捉えるのではなく、何を目標に向かっている途中で起きていることなのか?その失敗を責めることで次の挑戦がしにくい環境を作っていないか?を注意してマネジメントを行っていきたいものです。

社会人の大先輩としての本田さんの名言は如何だったでしょうか?
今起きている失敗も1%の成功に繋がる失敗だと思って、日々挑戦していきましょう!

興味を持ってくださった方は下記の本田宗一郎さんの本がお勧めです。

参考文献:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
一冊でわかる!本田宗一郎:「世界のホンダ」を創り上げた男の「挑戦の軌跡」PHP研究所

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